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数学者の言葉では

数学者の言葉では (新潮文庫)

若き数学者のアメリカ」、「遥かなるケンブリッジ」と並ぶ藤原正彦氏初期の作品です。

他の2冊がアメリカやイギリスへの留学体験を描いたものである一方、本書に収められているのは留学時代を振り返ったものから、父親(新田次郎)との思い出、そして数学者としての日常など多岐にわたるエッセーで構成されています。

著者は数学の研究者という顔の他に、講師として大学生徒への授業も受け持っており、教育者としての立場からも鋭い指摘をしています。

この教育論はのちのエッセーや評論において大きな比重を占めるようになりますが、その原型となる主張が本書の中に垣間見れます。

40歳という気力体力ともに充実している著者は、研究だけではなく教育の現場へ対しても大きな関心を示し、学者にありがちな冷静で客観的な態度ではなく、多少短気でせっかちで何より情熱が文章から伝わってくるのが特徴で、それが多くの読者が惹きつける理由ではないでしょうか。

また数学という難解な学問を万人に興味深く紹介するのにも長けており、私がもし著者から授業を教わっていたら、学生時代の散々だった数学テストの点数は違った結果になっていたハズです。

ちなみに本書で一番印象に残ったエッセーを上げるなら「父を想う」になります。

私は父の本を余り読んでいない。肉親の書いた本を読むのが、なぜか気恥ずかしいのである。父も私が読むことを敢えて勧めたりはしなかった。それでも何冊かは読んでいる。読んだ後には必ず父に感想を述べたものだか、それはおおむね猛烈なる批判であった。秀れた点、感心した点などは、いくらあっても照れ臭くてめったに口に出さなかった。

私の減らず口に、父は大した反論もせず聞き流すのが普通だった。
「そんなにひどいなら、どうしてベストセラーになるのかな」
とニヤニヤしながら言うくらいのものだった。

私が父の本をそれほど読まなかったのに反し、父は私の原稿を全て読んでくれた。清書が出来ると、先ず父の許へ持っていくのが習慣になっていた。父の感想は、私の父に対する悪口雑言とは打って変わって、好意的なものばかりだった。

父が亡くなりわずか三週間後に書かれたエッセーですが、著者が数学者としての傍らで本を執筆するとき、常にその道の大先輩である父親を意識せざるを得なかった著者の素直な心情が綴られています。

そしてこの親子両方の著書を愛読する私にとっては微笑ましいエピソードになるのです。