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熱球

熱球 (新潮文庫)

野球部のエースとして活躍し、甲子園まであと一歩というところまで行きながらチームメイトの起こした不祥事により夢を絶たれてしまう。。。やがて少年は故郷に失望し、東京で就職して家庭を築いて暮らしていた。

物語はそんな主人公(ヨージ)が1人娘とともに20年ぶりに故郷(周防市)へ戻ってきたところから始まります。

妻は学者としてアメリカ留学中で充実した時期を迎えている一方、ヨージは東京で仕事に行き詰まり、会社を辞めて無職で故郷に戻ってくるのです。

一度は故郷を捨てたヨージは懐かしさを感じる一方で、その空気はどこかよそよそしく、建て替えられて間もない実家は居心地の悪いものでした。

そこでかつての野球部のチームメイト、洋食屋の亀山、母校の野球部で監督をしている神野、そしてマネージャーの恭子と再会するところから、ヨージの日常が少しずつ変わり始めるのです。

結婚して子どもがいる40代目前の男性といえば仕事をバリバリとこなして、充実した毎日を過ごしていても不思議ではありません。

しかし本書に出てくる登場人物たちは、ヨージも含めどこか高校時代の挫折を引きずりながら日々を過ごしているという点で共通しています。

がむしゃらに白球を追い続けた高校球児としての青春は永遠に戻りませんが、それでも黒ずんで糸のほつれたボールに書かれた"熱球"の文字は彼らの記憶にしっかりと記憶に刻みつけられています。

学生時代に部活で汗を流した経験を持つ読者であれば、本ストーリーに共感できる部分が多いのではないでしょうか。

かくいう私もその1人ですが、厳しい練習を積み重ねてきたにも関わらず、試合に敗れた悔しさや挫折感、そうした経験が誰にもあるはずです。

物語の中で長年にわたり熱心に野球部を応援をしてくれたザワ爺が亡くなった時に野球部監督の神野が弔辞を読み上げる場面があります。
「高校野球とは・・・・シュウコウの野球とは、負けることに神髄があるんだと、わたくしたちはザワ爺から学びました。高校野球で勝ちつづけることのできる学校は、甲子園で優勝する一校しかありません。どこの学校も負けるのです。負けることが高校野球なのです。ザワ爺、あなたはわたくしたちに、負けても胸を張れ、と言いつづけてくださいました。負けることの尊さと素晴らしさを、わたくしたちに教えてくださいました。わたくしたちは、おとなになっても負けることばかりです。勝ちつづけている人など、きっと、誰もいません。・・・・(略)」

これは高校野球に限らず、ほとんどの部活に当てはまるはずであり、著者(重松清氏)の伝えたいメッセージはシンプルです。

つまり私たちの人生は大人になっても大小含めて多くの負け(失敗)の連続であり、それを受け入れながら前を向いて進むしかないのです。

それを本書はゆっくりと時間の流れる瀬戸内の町を舞台に、高校野球を題材にしたほろ苦い青春小説として伝えてくれるのです。