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指揮官たちの特攻

指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく (新潮文庫)

経済小説家と言われた城山三郎氏が描いた戦争ドキュメント小説です。

この作品には、それが関行男大尉と中津留達雄大尉という2人の主人公が登場します。

2人は海軍兵学校の七十期生の同期ですが、関は神風特別攻撃隊第一号、つまり日本ではじめて特攻隊として選ばれた軍人であり、中津留は1945年8月15日に行われた天皇の玉音放送後、つまり終戦を知らされないまま日本で最後に特攻した軍人となります。

特攻隊は当時のアメリカにとって、また現在の平和な日本にとって衝撃的な出来事だったため、多くの小説やドキュメント作品の題材となっています。

即席のパイロット訓練を受けた、中にはわずか17歳の少年兵が特攻隊として太平洋の海原に消えてゆく例すらありました。

タイトルに"指揮官たちの特攻"とありますが、彼ら2人のように戦闘機乗りの大尉といえば、正規の訓練を受けて第一線の操縦士として部下たちを率いて出撃したり、教官として若い操縦士へ訓練を施す立場にあります。

いわばもっとも現役で油の乗り切った熟練パイロットたちであり、"特攻"の持つ戦略的な有効性などを冷静に判断できる経験を持っている一方、上官の命令には絶対服従という軍の規律についても充分に承知していました。

よって実戦経験のない若いパイロットが特攻に赴くときの一途な祖国愛や家族愛とは違った複雑な心境がありました。

たとえば関は次のような発言を残しているそうです。

「日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵母艦の飛行甲鈑に五〇番(五〇〇キロ爆弾)を命中させる自身がある」

「ぼくは天皇陛下とか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(家内)のために行くんだ。命令とあれば止むを得ない。ぼくは彼女を護るために死ぬ。どうだすばらしいだろう!」

軍人としての自信とそれゆえの無念さ、さらに半ば自暴自棄から来る冗談とも取れるような発言に感じます。

中津留は関とは違って物静かな性格であったため、その種の発言が残っていません。

彼の残した手紙からでさえ、両親、そして臨月の妻の身を案じる一方で、自分が何時特攻を命じられてもおかしくない状況を知られて心労をかけてしまわないような配慮がされています。

もちろん中津留自身も心中では、自分の死によって戦況は何一つ変わらないことを充分に承知してはずであり、それどころか海軍航空隊が壊滅状態であったことから、日本が敗戦濃厚なことすらも容易に予測できた立場にいたといえます。

それでも中津留は、先輩や同僚、そして何よりも自らが手塩かけて育てた後輩たちが次々と特攻により散ってゆく毎日を見てきて、自分だけがその運命から逃れるなど考えもしなかったに違いありません。

ちなみに著者の城山氏は、当時17歳であり若くして海軍へ志願していました。

城山氏は「伏龍」と呼ばれる特攻兵器の訓練生であり、それは潜水服を着用して海底に潜み、棒付き機雷を敵艦艇の船底に突き上げて自分もろとも爆発させるという"人間機雷"というべき信じられないものでした。

こうした経験を持つ城山氏は、零戦桜花回天に代表される特攻兵器によって命を失った兵士たちの逸話を耳にしたり、遺品を見る度に胸が痛むと同時に、申し訳ないという気持を持ち続けてきたといいます。

しかしながら本作品は、戦後から60年近くが経過した著者の最晩年にあたる作品です。
おそらく城山氏にとってそれだけ重いテーマであり、それを消化するために長い年月を要したのではないでしょうか。