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ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉

ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)

いよいよ「ローマ人の物語」も最終章へ突入します。

もはや共和政ローマ時代のように破竹の勢いで快進撃を続けることも、初期から中期帝国時代のパクス・ロマーナ(ローマによる平和)がもたらす繁栄が二度と戻らないことを、5世紀に生きた当時のローマ人たちも感じていたに違いない時代が到来するのです。

それも度重なる蛮族の侵入を防ぐどころか、蹂躙されるがまままの状態に陥ったのですから当然であるといえます。

この帝国末期の状況を著者は次のように分析しています。

人間ならば誕生から死までという、一民族の興亡を書き終えて痛感したのは、亡国の悲劇とは、人材の欠乏から来るのではなく、人材を活用するメカニズムが機能しなくなるがゆえに起こる悲劇、ということである。

つまりローマ人の能力が衰えたり、侵入してくる蛮族たちが急激に強くなったわけではないのです。

しかも本書で触れられているのは近代日本や江戸幕府さえも遠く及ばない、本巻の時点でも1100年以上にも渡って繁栄した古代ローマ人たちの国家であることを考えると、どんな国であっても人間の寿命と同じようにいつかは"死(滅亡)"を迎える運命にあると感じずにはいられません。

共和政時代であれば執政官独裁官、そして時には護民官を中心に、帝政時代であれば皇帝を中心としてローマ史を綴ることが出来ましたが、ローマ帝国の末期に登場する皇帝たちは、巨大化した宮廷の奥で政治に無関心になってゆきます。

そしてテオドシウスが後継者に指名した2人の息子(アルカディウスホノリウス)はその典型例となる人物でした。

そのテオドシウスが息子たち、そして帝国の行く末に不安を感じ、軍総司令官(事実上の後見人)として指名したのが、のちに「最後のローマ人」として称えられることになるスティリコ将軍でした。

しかもスティリコは、父親がローマ人が蛮族とみなしたヴァンダル族であり、母親がローマ人という「半蛮族」ともいうべき出自だったのです。

ただしこの「半蛮族」と呼ばれたスティリコは2人の皇帝の後見人として獅子奮迅の働きを見せます。

まずは族長アラリックに率いられ侵入してきた西ゴート族を撃退し、続いて北アフリカで起こった反乱を鎮圧、その後はラダガイゾ率いる東ゴート族を中心とした40万人ものゲルマン人がイタリア半島へ押し寄せてきますが、わずか3万人の急造ローマ軍で彼らを撃破するという離れ業をやってのけます。

これだけの活躍をしてさえ、繰り返される蛮族たちの侵入からローマ帝国を防衛することが困難だと判断したスティリコは、カエサルが征服して以降450年に渡ってローマの一部であり続けた広大な北部・中部ガリア地方を放棄することを決意するのです。

さらに加えて、かつての宿敵だった西ゴート族のアラリックと同盟を結び、西ローマ帝国防衛の一端を担わせるという大胆な戦略を実行します。

これは蛮族を使って蛮族を撃退する苦肉の策であり、実質的には西ローマ帝国がアラリックへ用心棒代を支払うことで成り立っていました。

厳しくはあっても公正であったスティリコは兵士たちからの信頼も厚く、彼の存在が無ければ間違いなくこの時期にローマ帝国は滅亡を迎えていたに違いありません。

人気と実力を兼ね備えたスティリコでしたが、その気になれば容易に掴み取れる皇帝の地位を決して狙うことはありませんでした。

先帝テオドシウスの遺言を忠実に守り抜き、何一つ判断も行動もしない皇帝を見捨てることは無かったのです。

一方で風雨に晒されることのない宮廷の奥で側近たちの言葉を信じたホノリウスは、スティリコを処刑してしまうのです。

半ば覚悟しての死を迎えたスティリコでしたが、この事件は著者の「人材を活用するメカニズムが機能しなくなるがゆえに起こる悲劇」そのものであり、ローマ帝国は自らの剣で深い傷を負っておきながら、その痛みさえ感じることの出来ない状態になってゆくのです。