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ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉

ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)

本巻では引き続き、"四頭政治(テトラルキア)"を構成していたライバル皇帝たちを次々と葬り、唯一の皇帝となったコンスタンティヌスの治世を追っています。

前巻ではローマ帝国内におけるすべての宗教を信仰する自由を保証した「ミラノ勅令」について触れましたが、コンスタンティヌスは皇帝としての権力や財力を利用して、その中でもとくにキリスト教を積極的に支援しました。

その歴史的意義を著者は分かり易く次のように表現しています。

コンスタンティヌスが、ローマ史に留まらず世界史のうえでも偉人の一人とされてきた理由は、何と言おうが彼が、キリスト教の振興に大いなる貢献をしたからである。

また彼の名が一躍有名になるもう1つの事業が、ローマ帝国の新都建設です。

今までの首都ローマに代わり、それまで歴史的に重要でなかった地方都市であるビザンティウムへ首都を新たに建設したのです。

そして町の名前を自らの名前を冠したコンスタンティノポリス(英語ではコンスタンティノープル)と改名し、今でもトルコの首都として有名なイスタンブールの実質的な建設者となったのです。

そして帝政初期から中期にかけて皇帝へ対しても強権を発動できた元老院を完全に形骸化させたのもコンスタンティヌスです。

すでに元老院が実質的な権力が奪われて久しいですが、新都建設を機にそれを徹底して政策化したのです。

共和政ローマの頃よりローマ軍の司令官は、行政官としてのキャリアも充分に積んだ人物が就くことが慣例でしたが、元老議員が軍団司令官に就くことを禁止した法律の制定により、すべて生え抜きの軍人のみで占められるようになります。

軍の指揮官にはもちろん経験豊かなことが求められますが、オールマイティな人物が司令官として戦略レベルで視野の広い判断を下す、やはり真っ先に思い出すのがカエサルですが、彼のような文武両道の人物が生まれる土壌を国家システムとして完全に閉ざしたことを意味します。

要はすべての権力を皇帝1人へ集中させたのがコンスタンティヌス帝であり、この政策や政体が中世ヨーロッパの君主制の幕開けとなってゆくのです。

最後にもう1つコンスタンティヌス帝の治世で世界史に残る出来事といえば「ニケーア会議」が挙げられます。

この会議によってキリスト教のドグマ(教理)において三位一体派(神・精霊・キリストが一体であるとする主張する教団)の正統性が皇帝によって支持され、反対の立場をとるアリウス派が権力の中枢から遠ざけされたということです。

この"三位一体派"は後に"カトリック派"と呼ばれることになり、中世から近代史にいたるまでカトリックがもっとも伝統的で正統な教派とされる源流を生み出したのです。

それでも蛮族侵入に代表される安全保障の危機、貧富の格差拡大に象徴される経済力の衰退は相変わらず進行し続け、コンスタンティヌス帝が存命中にローマ帝国の繁栄へ対して貢献した実績よりも、のちの時代へ与えた影響力の方がはるかに大きいという不思議な人物でもあるのです。