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ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉

ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫)

前巻に登場した2人の皇帝、ディオクレティアヌスマクシミアヌスの2人は同時に退位、つまり引退という形で政治の表舞台から姿を消します。

それでも4人の皇帝によりローマを治める"四頭政治(テトラルキア)"は後継者を指名することで継続することになります。

そしてディオクレティアヌスの治世のような安定した時代が続くと思われましたが、結果としては最悪の方向へ進むことになります。

つまり4人の皇帝が自らの担当地域を縄張り化(私領化)し、お互いに権力争いを繰り広げる内乱へと突入するのです。

4人の皇帝が次々と入れ替わり、さらにトーナメント方式のように勝利した皇帝が敗れた皇帝の領地を併合するという事態へ発展してゆきます。

ディオクレティアヌス時代の四頭政治は、あくまでも彼を頂点とした"1+3"の4人体制であり、また他の3人の皇帝もディオクレティアヌスの実力を認めていたからこそ維持できていたのです。

引退したディオクレティアヌスも現状を打開しようと口を挟みますが、一度権力を手放してしまった以上、再びそれが自らの手に帰ってくることはなく、"元皇帝の肩書を持った老人"にしか過ぎない存在となるのです。

そして内乱という権力抗争で生き残った人物こそが、のちに"大帝"と呼ばれることになるコンスタンティヌスです。

本巻ではこのコンスタンティヌスが権力抗争で唯一の勝利者となる過程に詳細に触れられています。

もっとも統治能力に秀でたコンスタンティヌスが皇帝の座の収まること自体、ローマ帝国にとってけっして悪いことではありません。
しかし内乱によって失われた優秀な指揮官や兵士は、蛮族襲来の危機に晒されているローマ帝国にとってかけがえの無い財産であったことも事実なのです。


また権力抗争の過程でリキニウスと2人の統治時代を迎えていたときに発令した紀元313年の「ミラノ勅令」にもページを割いて解説されています。

紀元1世紀にローマ帝国内で活動したイエス・キリストの時代から、キリスト教の置かれている状況について「ローマ人の物語」シリーズでは要所要所で触れられてきました。

まずキリスト教が誕生してから約200年は信者の絶対数が少なかったことから、小規模な弾圧を受けることはあっても基本的にはマイナーな宗教としての位置付けで終始します。

"五賢帝時代"から"危機の3世紀"を経て4世紀に入ると、キリスト教が急速な広がりを見せますが、ローマ人の大多数が信じる多神教との価値観の相違、つまり皇帝の権威を認めず、神の権威のみを認めるキリスト教徒たちは大規模な弾圧に遭遇することになります。

ローマ人古来の宗教はギリシア神話の神々を取り入れた多神教であり、経典も専属の司祭といった階級も存在しませんでした。

宗教上もっとも権威を持った人物はカエサル以降、皇帝が最高神祇官として兼任するのが恒例となっており、司祭も兼業という形で市民の中から選出されるという"ゆるい宗教"でした。

実に30万もの神々が役割ごとに守護神として存在していたと言われており、最高神ユピテル(ギリシア神話のデウス)から夫婦げんかを仲裁する神までが存在していました。

これは現代の西欧人よりも、八百万の神々が存在する神道、さらに仏教をも同時に受け入れる日本人の方が、古代ローマ人の感覚を理解できると思います。

ともかく「ミラノ勅令」によって弾圧を受けていたキリスト教含めて、ローマ帝国内における信仰の自由を保証したのです。

しかもその後、コンスタンティヌスは積極的にキリスト教の保護を進め、キリスト教を特別に優遇する政策を推し進めます。

コンスタンティヌスが"大帝"と呼ばれるのは、のちにヨーロッパにおいて絶対的地位を築き上げたキリスト教徒たちによる尊称であり、彼の存在なくして、世界三大宗教の1つとして数えられるキリスト教の地現在の地位はあり得なかったことを考えると当然といえます。

そんな世界史の中でも重要な位置付けとされるコンスタンティヌス帝ですが、神の国を説くキリスト教が公認されても、彼が治める現実世界のローマ帝国には問題が山積みだったのです。。