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ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉

ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)

本巻ではディオクレティアヌス帝の統治時代に触れられています。

危機の3世紀」では数年、時には数ヶ月単位で次々と皇帝が入れ替わりましたが、このディオクレティアヌスの治世は20年以上に渡ることになります。

すでにローマの覇権を拡大させる時代はおろか、安全を維持する時代さえも過ぎ去り、ディオクレティアヌスの最優先課題は、帝国の衰退を食い止めることでした。

これは破産しかけた会社の再建が急務であるのと同じ状況でした。

3世紀の皇帝たちは1人体制で蛮族や敵国の侵略を食い止めるために奔走してきましたが、ディオクレティアヌスは友人であり優れたローマの将軍であったマクシミアヌスをもう1人の皇帝とすることで役割と責任を分担します。

1人の皇帝が各地の戦場へ赴くのではとても時間が足りず、さらに自らがカエサルのような天才型の人間でないことを自覚していたディオクレティアヌスは、地域ごとに責任者(皇帝)を置くという効率的な方法によって防衛線(リメス)の維持を試みたのです。

結果としてこの方針は功を奏し、在位8年にしてローマ帝国の国境にはひとまずの平和が訪れることになります。

そしてディオクレティアヌスは、その体制をさらに一段と推し進めます。

ローマ帝国を東西に分け、そこにそれぞれ正帝副帝を置くことで帝国の領土を4人の皇帝で統治する体制を実現します。

これを"四頭政治(テトラルキア)"といい、各皇帝は自らが担当する地域にける軍の最高責任者でありましたが、抑えておくべきポイントは以下の通りです。

  • ローマ帝国を4分割したわけではなく、あくまでも1つの帝国として国体を維持したこと
  • 4人の皇帝の中でディオクレティアヌスが明確にもっとも強大な権力を有していたこと

分かり易く言えば、4人の皇帝の実力が拮抗していたわけではなく、実質的にディオクレティアヌス自身が他の3人の皇帝を指名したのです。

もちろんこれはディオクレティアヌスが謙虚だった故に権力を割譲したのではなく、危機的状況下にあって広大なローマ帝国を効率よく治めるために生み出したアイデアでした。

結果として四頭政治(テトラルキア)は、ローマ帝国に一時的な安定をもたらしましたが、これは増強した軍事力に依存した安定でもあったのです。

具体的には、外敵との絶え間ない争い、そして兵士たちの質の低下を補うために帝国全土の兵士の人数を30万人から、一気に2倍の60万人に増やします。

これは必然的に軍事費の増大となって現れますが、この軍事費についても増税という単純な方法で補います。

一昔前であれば、たとえ皇帝であっても増税政策を打ち出せば、元老院、そしてローマ市民たちの反発によってその地位を失いかねない事態になることは珍しくありませんでした。

しかし3世紀末から4世紀初頭にかけて皇帝となったディオクレティアヌスは、軍団の絶対的な支持を背景にした武力と、皇帝を頂点とした巨大な官僚組織をつくり上げることで、その反発を簡単に抑えこむ実力を持っていました。

この末端まで組織された官僚体制は、当時のローマ人が「税金を納める人の数よりも、税金を集める人のほうが多くなった」と皮肉るほどでした。

そしてディオクレティアヌスは、自らが目指した政策をひと通りやり終えると、同僚の皇帝であるマクシミアヌスと共に引退してしまうのです。

終身制が普通であったローマ皇帝にとって引退自体が異例のことでしたが、この潔い勇退が必ずしも良い結果とならないのも衰退するローマ帝国を暗示していたように思えてなりません。


さすがに4世紀のローマ史ともなると、口から泡を飛ばして元老議員と議論する皇帝クラウディウスのような、民衆たちと一緒に公衆浴場(テルマエ)へ通う皇帝ハドリアヌスのような民衆にとって身近な皇帝が2度と現れることが無いことに寂しさを覚えてしまいます。