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男の一生 (上)

男の一生 上 (日経文芸文庫)

遠藤周作氏による戦国歴史小説です。

主人公は秀吉にもっとも早い時期に仕えた家臣として、幾多の戦場で活躍した前野長康(通称:将右衛門)です。

とはいえ前野長康の名前と経歴を知っている人はかなりの戦国マニアといえます。

将右衛門の盟友であり同じ時期に秀吉に仕えはじめた蜂須賀正勝(通称:小六)は、その家系がのちに徳島藩として明治まで存続していたこともあり、その知名度が高いですが、有名な墨俣一夜城から小牧・長久手の戦いに至るまでの2人の経歴はほとんど重なります。

もっとも遠藤氏は歴史に埋もれた偉人から"前野長康"という人物を掘り起こして小説の題材にした訳ではありません。

遠藤氏の他の歴史小説にも言えることですが、やはりそこからは"文学的テーマ"を感じることができます。

将右衛門も小六も木曽川流域の海運によって勢力を蓄えた"川並衆"として生計を立てていましたが、その勢力は"小豪族"という程度の規模であり、代表的な戦国大名の前身"守護代"ほどの実力は備えてなく、かといって北条早雲斎藤道三、そして彼らの主人である羽柴秀吉のように裸一貫で成り上がるといった強烈な上昇志向も持ち合わせていませんでした。

つまり戦国時代に生きる小豪族の方針は、将右衛門や小六がそうであったように「強い勢力に味方する」といった現実的な路線だったのです。

そしてたまたま仕えた秀吉がのちに"天下人"になるのは、ある意味で幸運だったといえます。

それだけに将右衛門は、多くの栄枯盛衰、もっと具体的に言えば勝者の立場から敗者たちを多く見てきたのです。

まずは信長によって抹殺された弟や叔父といった一族にはじまり、織田家を凌ぐ勢力を誇った今川家、斎藤家、名門の朝倉や浅井といった大名たちの滅亡、やがて織田家自体の瓦解、柴田家といった有力ライバルの滅亡を間近で見てきた視点を将右衛門の目を通して描いてゆくのです。

この将右衛門の視点というのは絶妙な立ち位置だといえます。

秀吉自身は一途に立身出世位に邁進する性格であり、結果的に自身が歴史の一時代を築き上げるため冷静な視点が不足しています。
また小六については最後まで秀吉の忠実な家臣であり続けたため、やはり秀吉の視点に近すぎます。

本書は1959年に発見された「武功夜話(別名:前野家文書)」を呼ばれる古文書を原作に位置付けて小説家した作品です。

「武功夜話」自体の信憑性は高くありませんが、それは遠藤氏の作品の中ではそれほど大きな問題ではありません。

遠藤氏がどのようなテーマを読者に与えたかったのか、それを将右衛門の視点からじっくりと考えながら読むのが相応しい作品ではないでしょうか。