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聖職の碑

新装版 聖職の碑 (講談社文庫)

山岳小説家として有名な新田次郎氏による作品です。

孤高の人」、「栄光の岩壁」に代表されるような前人未到の偉業を成した登山家やクライマーを題材にした作品も有名ですが、「八甲田山死の彷徨」、そして本作品のように壮絶な遭難事故を題材にした作品にも定評があります。

本作品は、大正2年(1913年)に総勢37名で行った木曽駒ヶ岳の学校登山において11名が命を落とした実際の遭難事故を舞台にした作品です。

夏でも山の天気は急変しやすく、まして駒ヶ岳のような3000メートル級の山であれば自然条件の過酷さは想像を超えるものであり、急変する山岳地方の気象予測や防寒・防水装備に関する技術が低かった当時の状況が遭難事故の直接的な原因となりました。

題名にあるように当時の教師は「聖職」と呼ばれており、教育者の社会的地位が高く尊敬されていた時代でした。

当時は大正デモクラシーを背景に、個性を尊重する白樺派の全盛期でしたが、遭難した生徒たちを率いる赤羽校長は実践を通じて心と身体を鍛え、集団での規律を重んじる昔ながらの教育方法を貫いた人でした。

それだけに不幸な出来事が重なったとはいえ、生徒たちが目の前で凍死してゆく姿を目の当たりにした赤羽校長の心情は、生徒に対する責任感と思いやりの強い人だっただけに慙愧に堪えない思いだったに違いありません。

作者の綿密な取材に裏付けられた丁寧な時代背景と遭難状況の描写、そして過酷な大自然を前に絶望的な状況下での人間の心理描写は、長編でありながら一気に読めてしまう小説のお手本のような作品です。

時代は変わり登山道が整備され、また科学の発達によりあらゆる面で安全が強化されていますが、現在も彼らの遭難事故を良い意味で教訓に生かして駒ケ岳への学校登山が続けられているのは嬉しいことです。


少なくとも一切の危険から子供を切り離した教育より、登山を通じて生徒たちに(もちろん安全を考慮した上で)苦難を克服する経験を与えるというのは、決して間違った教育方針ではないと思います。